柏崎中心街
今日、仕事で柏崎へ行った。長岡インターから西山インターまで高速を使い、116号と8号を経由した。途中あちこちで倒壊している家屋をみると悲しくなる。
2007年7月19日
今日、仕事で柏崎へ行った。長岡インターから西山インターまで高速を使い、116号と8号を経由した。途中あちこちで倒壊している家屋をみると悲しくなる。
2007年7月16日
今日10時過ぎに柏崎沖で地震があった。長岡にいても結構揺れた。前回の中越地震と比べてここでは揺れ方が違ったので被害が無かった。
2007年6月24日
2007年5月19日
2007年5月 5日

菅名岳も久しぶりに登る。
本当は、大蔵山から菅名岳へ縦走しようと思ったが、大蔵山が山開きらしく駐車場が混んでいたので予定を変更した。
毎回思うが、丸山尾根のコースは、最初の階段で非常に体力を消耗する。ここを無理なくゆっくり登れば、ベンチのある4合目の休憩場がある。
ブナ林の中を歩くとやがて椿平に出る。ここを右にゆくと、どっぱら清水・大蔵山の駐車場に出る。
ここから、1時間ほどで頂上に着く。

頂上は10人ほどの人がいた。> 思ったより混んでいなかった。
頂上に30分ほどいて、鳴沢峰経由で五葉コースを下った。
鳴沢峰あたりで、SLばんえつ号の汽笛を聞きながら心地よい風を浴びながら下りた。
時々の森林浴も良いものだ。
(駐車場 7:46→ 8:18 4合目 8:25 → 9:05 椿平 9:12 → 10:13 頂上 10:33 → 11:05 鳴沢峰 11:10 → 12:13 駐車場)
2012年3月20日
未だに時々雪が降る、少し異常天候気味な今シーズン。一歩一歩確実に春がやってきている。まだ所々には雪が残っているし、風は寒いが日差しは春の到来を感じさせている。
今日は頼まれて姪っ子の面倒を見ている。仕方が無い。一番の暇人に見られているからだ。
リバーサイド千秋の中を何度も歩き回り疲れたのでバルコニーに出て日差しを浴びた。風はまだ寒いが、久しぶりに晴れたのでたまには良い。昔はこの辺は田んぼであり、よく釣りに来たものだった。友人4.5人連れて。アメリカザリガニがよくいた。トンボもいた。あの頃が懐かしい。もしあの頃にカメラを持っていたら風景を撮っていただろう。現在に風景と比べてみたかった。
2012年3月 4日
子どもは自分では悪気は無いが、大人から見ると迷惑なことをよくやる。それは成長の途中の事だから仕方が無い。
兄妹同士で、じゃれているつもりでもやられている方は嫌がっていることもよくある。これもまた愛嬌だ。
子育ては正解が無いと思う。国によって育て方が違う。だから正解が無い。難しいと思う。
人生も同じだ。
2012年3月 3日
子どもが何かに夢中になっている姿は可愛い。大人でも真剣に何かに夢中になっている姿はすばらしい。最近夢中になる物が無く、ただ無駄に生きているが...
人生生きる張り合いが無いと生きても虚しい。まるで無期懲役の囚人のようだ。ただ朝起きて、夜寝る。夢を見るのだけが楽しみ。ただ生きているだけ。
ちょっと前まではやりたいことがあったのに、今は無意味に一日が過ぎる。虚しい人生だ。
2012年2月29日

明日から三月。美松のサンキューまつりも今日で終わり。今年は閏年なので一日儲かったのか、損したのかわからない。今日は天気も良く三月の下旬のような陽気だ。暦の上では春だが、早く本当の春が待ち遠しい。
東京では雪が降ったらしいが新潟から見れば可愛い物である。関東では大変だろうが。
気象の上ではようやく冬が終わり、春の気圧配置になりつつある。あの移動性高気圧だ。寒い日と暖かい日が交互にやってくる。南岸低気圧がくると通る位置によって関東に雪が降る。そしてそれが発達しながらオホーツク海で大暴れし冬型になる。毎年の繰り返し。
気象に精通している人は各種の資料で予測できる。でもその通りにならない。それが科学と自然のスケールの違いだ。
だから地震の予知も難しい。兆候はわかるかもしれないが。
2012年2月20日

この付近は、町内会や班のまとまり具合によって、消雪パイプのあるところと無いところがある。通学路があり、病院があり、スーパー等があるので消雪パイプがあると便利だと思うのだが、人それぞれ考えと、金銭的な考えがあるので何ともいえないが。
今年の大雪では地下水が涸れた井戸があったが、幸いにも我が町内は未だに涸れないでいる。
道が狭くなると除雪車や消火栓確保の消防自動車が対向してくるとすれ違いに難儀する。それでも昭和50年代の大雪に比べたら大したことでは無いのだが。
あの頃は舗装のひびに入った水が冷え込みで凍り、日中の消雪パイプの水で融け、また凍りの繰り返しで道路のあちらこちらで穴が開いてた。
町内会によっては道路を通行止めにして一斉に雪下ろしをしたところもあった。業者が間に合わず町内会で雪下ろしをした老人の家もあった。あの頃は大変だったがまだ若かった。