2015年10月 8日

左足踵骨骨折 手術翌日

 夜はあまりよく寝られなかった。

 

 朝食後、検温・血圧測定が終わり、おしっこの管を抜く。車椅子での移動も許可された。もし、おしっこが出なかったらもう一度管を入れるといわれ、ナースコールで看護師を呼び、車椅子用のトイレを案内してもらった。車椅子トイレの使用ルールを教えてもらった。朝食は全部食べた。おいしく食べられた。

 

 K先生、S先生の回診を受けた。S先生より大変な手術だといわれ、傷を診てもらった。出血がすごく、先生曰く踵の骨から多くの血液が作られるから、暫くは出血が続くが、心配は要らないとのこと。

 

 夕食後点滴が始まる。夜微熱が出る。水枕使用。足のむくみもあるので、足にも使用。足の指の感覚が戻り始め、指が動くようになる。

 

 21時就寝。

2015年10月 7日

左足踵骨骨折 手術日

 9時頃から点滴が始まる。この点滴は明日の朝まで続く。その後は朝晩で二日間。

 

 淡々と時間が過ぎる。なかなか呼ばれない。

 

 10時40分頃、手術室から呼ばれたと連絡を受けた。車椅子で3階手術室へ向かう。ベットで病室に戻るため一緒に降りていく。麻酔科のK先生から説明を受ける。

 

 15時位に病室に戻ったようだが、記憶にない。看護師が足の動きを確認に来るが、麻酔が効いてるため感覚がない。足にはシーネが装着されているようだ。

 夕方酸素濃度が低いため酸素マスクを着けられた。

 夜に微熱が出て水枕を使う。傷の痛みのため座薬を入れてもらう。夜中に酸素マスクを外される。腰が痛いため、何回も向きを変えてもらう。

2015年10月 6日

左足踵骨骨折 七日目

 手術前日、今日は15時位までは何もなく過ごした。

 

 看護師のNさんより先生の指示により右足にアンシルク・プロJを血栓予防のため着けられた。

 その後手術室の看護師、薬剤師から手術に関しての説明があった。床擦れの検査もあった。圧力計のようなものを腰の下に入れていた。麻酔科のH先生から腰椎に手術をした関係から、全身麻酔にすると説明があった。手術の時間も決まった。11時前頃だ。同室のKさんはその後の15時30分頃。夕方ギプスカットをした。

 

 今日は21時以降は食事制限、24時以降は水分制限の指示を受けた。

 

 後は明日を待つのみ。

2015年10月 5日

入院当日

 朝、いつものAタクシーを手配してN病院に向かう。今日は入院するために松葉杖は不要だ。後でN整形外科に返してもらうようにお願いする。

 

 病院に着き、車椅子を借り、整形外来に声をかける。しばらくすると呼ばれ、前回のCTの説明を受ける。内容はあまりよくないと。一部人工骨を使うことも。感染症と血栓、麻酔等のリスクの説明も。

 

 看護師のNさんに車椅子を押され9A902号室に入院する。四人部屋の②ベットだ。③ベッドにはKさんが膝の骨折で入院していた。

 

 午後からこの部屋を女性部屋に変えるため9A922号室に移動となった。この部屋は②ベットにOさん、④四ベットにI君、二人とも足の怪我。Kさんは③ベット、自分は①ベットに移動となる。全室では看護師のFさんが、ここでは看護師のNさんがこれまでのいきさつ等を聞かれた。病室の担当が違うので、同じことを午前、午後二回聞かれた。これは仕方ないのだろう。

 

 夕方手術が7日に決まったと連絡をもらった。

 

 やることもないので、テレビカードを購入してテレビを見ながら過ごす。21時就寝。  

2015年10月 1日

左足踵骨骨折 二日目


 夜は多少痛みはあったが、眠れないほどではなかった。足は少し腫れている。膝歩きで洗面所に向かい、トイレに行く。

 

 朝食は面倒くさいのでパン1個とした。7時30分頃にAタクシーに電話をして、8時半頃に来てもらうよう予約する。玄関の階段を下りながらタクシーに乗る。ドライバーはKさんだった。車内で怪我の話などをしながら病院に着く。

 

 車椅子を用意してもらい職員に押してもらいながら整形外科の外来に行き、紹介状を提出した。1時間ほど待ってK先生の診察を受け、レントゲンの撮影をして再び整形外来に声をかける。30分程待ち今度はS先生の診察。レントゲンを見るなり、骨が3,4カ所折れていること、そのうち1カ所がバラバラになっていること、手術をしないとだめなことを言われた。入院は来週の月曜日、手術は来週中ということを言われた。

 

 手術をすることを前提で、これから血液検査、心電図、胸のレントゲン、尿検査、それと足のCTをとるように言われた。CTは緊急割り込み扱いにしてもらったが大分待たされた。

 

11時30分過ぎに撮り終わり整形外来に声をかける。中に呼ばれて看護師から入院の案内と手術の同意書等の書類をもらい、説明を受ける。

 

 車椅子で正面玄関に向かいタクシー乗り場に行く。偶然、朝乗ったAタクシーのKさんのタクシーに乗り込んだ。車中では怪我の話をした。Kさんの同僚が両足の踵の骨折の話等。

 

 家に着き車を降りた。階段で転けた。Kさんに手伝ってもらい玄関に入る。松葉杖は使い方を教えてもらわないと使いづらい。

 

 会社に電話してSさんに、事業所に電話してYさんに、それぞれ状況を話した。通販でバスタオルを手配した。

 

 入院の支度を少しずつ始めた。横になっている時は、あまり痛みはない。足を下げてると足が腫れて痛い。やることがないので早く寝る。  

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2012年3月20日

リバーサイド千秋

姪っ子 未だに時々雪が降る、少し異常天候気味な今シーズン。一歩一歩確実に春がやってきている。まだ所々には雪が残っているし、風は寒いが日差しは春の到来を感じさせている。

 今日は頼まれて姪っ子の面倒を見ている。仕方が無い。一番の暇人に見られているからだ。

 リバーサイド千秋の中を何度も歩き回り疲れたのでバルコニーに出て日差しを浴びた。風はまだ寒いが、久しぶりに晴れたのでたまには良い。昔はこの辺は田んぼであり、よく釣りに来たものだった。友人4.5人連れて。アメリカザリガニがよくいた。トンボもいた。あの頃が懐かしい。もしあの頃にカメラを持っていたら風景を撮っていただろう。現在に風景と比べてみたかった。

  

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2012年3月 4日

甥っ子・姪っ子

甥っ子・姪っ子  子どもは自分では悪気は無いが、大人から見ると迷惑なことをよくやる。それは成長の途中の事だから仕方が無い。

 兄妹同士で、じゃれているつもりでもやられている方は嫌がっていることもよくある。これもまた愛嬌だ。

 子育ては正解が無いと思う。国によって育て方が違う。だから正解が無い。難しいと思う。

 人生も同じだ。

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2012年3月 3日

未来を見つめる

姪っ子 子どもが何かに夢中になっている姿は可愛い。大人でも真剣に何かに夢中になっている姿はすばらしい。最近夢中になる物が無く、ただ無駄に生きているが...

 人生生きる張り合いが無いと生きても虚しい。まるで無期懲役の囚人のようだ。ただ朝起きて、夜寝る。夢を見るのだけが楽しみ。ただ生きているだけ。

 ちょっと前まではやりたいことがあったのに、今は無意味に一日が過ぎる。虚しい人生だ。

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2012年2月29日

明日から三月

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 明日から三月。美松のサンキューまつりも今日で終わり。今年は閏年なので一日儲かったのか、損したのかわからない。今日は天気も良く三月の下旬のような陽気だ。暦の上では春だが、早く本当の春が待ち遠しい。

 東京では雪が降ったらしいが新潟から見れば可愛い物である。関東では大変だろうが。

 気象の上ではようやく冬が終わり、春の気圧配置になりつつある。あの移動性高気圧だ。寒い日と暖かい日が交互にやってくる。南岸低気圧がくると通る位置によって関東に雪が降る。そしてそれが発達しながらオホーツク海で大暴れし冬型になる。毎年の繰り返し。

 気象に精通している人は各種の資料で予測できる。でもその通りにならない。それが科学と自然のスケールの違いだ。

 だから地震の予知も難しい。兆候はわかるかもしれないが。

 

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2012年2月20日

除雪車

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 この付近は、町内会や班のまとまり具合によって、消雪パイプのあるところと無いところがある。通学路があり、病院があり、スーパー等があるので消雪パイプがあると便利だと思うのだが、人それぞれ考えと、金銭的な考えがあるので何ともいえないが。

 今年の大雪では地下水が涸れた井戸があったが、幸いにも我が町内は未だに涸れないでいる。

 道が狭くなると除雪車や消火栓確保の消防自動車が対向してくるとすれ違いに難儀する。それでも昭和50年代の大雪に比べたら大したことでは無いのだが。

 あの頃は舗装のひびに入った水が冷え込みで凍り、日中の消雪パイプの水で融け、また凍りの繰り返しで道路のあちらこちらで穴が開いてた。

 町内会によっては道路を通行止めにして一斉に雪下ろしをしたところもあった。業者が間に合わず町内会で雪下ろしをした老人の家もあった。あの頃は大変だったがまだ若かった。

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