泣きべそ
甥っ子は、悪戯坊主だ。それにやんちゃ坊主。泣き虫坊主。何かあるとすぐ泣く。「マンマァ」大声で自分に注意を向けてもらうように。一日十何回も泣く。お医者に行って、白衣を見ると泣く。自分のわがままが通らないと泣く。怒られても泣く。いくら泣いても涙が涸れない。
でも泣かないでいるときはかわいい。日毎に知恵が付いてくる。
2010年12月10日
甥っ子は、悪戯坊主だ。それにやんちゃ坊主。泣き虫坊主。何かあるとすぐ泣く。「マンマァ」大声で自分に注意を向けてもらうように。一日十何回も泣く。お医者に行って、白衣を見ると泣く。自分のわがままが通らないと泣く。怒られても泣く。いくら泣いても涙が涸れない。
でも泣かないでいるときはかわいい。日毎に知恵が付いてくる。
2010年11月21日
例年のトボー同人の忘年会に参加した。各人と会うのは去年の忘年会以来の人が多い。皆が変わりない。なりよりである。
でもだんだん出席者が減る。お酒の飲む量も減る。歳にはかなわないのか。
2010年11月17日
姪っ子は、相も変わらず、泣かない。甥っ子と違う。泣くときは、眠いときと、甥っ子がいじめたときだけだ。逞しい女性だ。たぶん将来はそうなるだろう。母親に似ると気が短い女になる。似ないでほしい。
もうすぐ6ヶ月。すくすく育っている。育ちすぎている感もあるが。これは愛嬌。
2010年10月28日
相変わらず、甥っ子は悪戯盛りの、わがまま盛り。これが世に言う魔の二歳なんだろう。何でもまねをして、自分でできないと、物を投げる。怒られて一度泣き出すと、何十分も泣き続く。機嫌がいいと自分でスプーンを使って食事をするが、そうでないと、動き回って中々食べてくれない。怒るとおしっこをわざとする。手に負えない。
逆に姪っ子は、滅多に泣かない。泣いても数分で泣き止む。何時でも、誰に対しても笑顔を振りまく。ママの姿がなくても、泣かない。甥っ子は同じ頃は、すぐ泣いていた。
2010年9月22日
2012年6月26日
こどもは一日一歩確実に成長していく。わずかだが確実に。言葉も、知恵も少しずつ。だから見ていても飽きない。自分の子供ではないから責任もないので、なおさら。
大人たち、がどういう場面でどんな言葉を使っているかを覚え、それをまねする。言葉が出なくなると赤ちゃん言葉でごまかす。それもまた見てておもしろい。いつまでこんな愛嬌を降り舞えてくれるだろう。
2012年5月13日
ここは旧長岡市のアメダス観測地だ。長岡市営陸上競技場の駐車場の片隅にある。ここで長岡の気温、雨量、風速、積雪、日照量、風向きを観測している。気圧の観測は無い。
以前は気象庁の観測所があって、サクラの開花情報もあったのだが、廃止になって数十年も経つ、月日の流れは早いものである。確か中島町だと思ったが。
昨今の異常な雨の降りは、アメダスで観測されなくても、レーダーで観測されることが多い。それも記録的豪雨として。
2012年4月10日
青春18切符が1回分手に入ったので、手頃に行けるところということで善光寺に行ってきた。善光寺は前回のご開帳以来なので3年ぶりだ。前回は非常に混んでいたが、さすがに今は前回ほど混んでない。それでも観光客はいる。
善光寺の本堂の柱は1847年の善光寺地震の影響で捻れている。あの思い本堂を支えている柱だ。よほど強い力が掛かったのだろう。何本かが捻れている。地震は怖いものだ。
春の少し暑い陽気に誘われて、彼方此方を散策した。大型小売店が変わっていた。参道に続く道路の工事をしていた。石畳になるようだ。
2012年4月 8日
今日もアオーレ長岡に来てみた。朝の積雪でどうなるかと思ったが、きれいに片付いていた。昨日に続いての積雪で、今年はどういう年なんだろう。
今日も混んでいた。昼時に行ったので、ラーメンの行列はすごかった。大手通の混雑ぶり(アオーレ周辺だけ)は久しぶり。長岡祭りの前夜祭と米百俵まつりは除いて。
2012年4月 7日
やっとアオーレ長岡がオープンした。今朝の雪でどうなるのだろと思っていたが、きれいに片付いていた。さすがに、長岡花火を間に合わせた経験が物を言うと思う。
大勢の人がいた。列が並んでいた。
市役所の機能が全部移るのかと思っていたが、違うようだ。
全面硝子張りで、地震等の時は大丈夫なのだろうかと思った。一応構造計算をしてあると思うけれど。